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秩父市観光大使 冠二郎が「秩父夜祭り」を語る!

1949年、埼玉県秩父市で生を受けた演歌界のアニキこと、冠二郎(かんむりじろう)が、
昨年2009年に「秩父市観光大使」に任命された。秩父と言えば、この時期は、
毎年12月2日・3日に行われる「秩父夜祭り」が有名だ。そこで今回、「日本の歩き方」の
スペシャル企画として、秩父市観光大使/冠二郎に、「秩父夜祭り」の見どころを語っていただく。

秩父夜祭りの、僕の最初の記憶は3歳くらいのときかな。
祭りのメイン会場は、生家から歩いて30分くらいの距離で、夜道を
両親に手を引かれて連れていかれたんだ。生まれて初めて見た
祭りの光景は、実はかなり恐怖に近いものだったんだよ。
笠鉾に飾られた無数の提灯の光と太鼓や雑踏の音が凄くて、
この世のものとは思えなかった。子供心に「怖い」って感じたんだろうね。
かなり衝撃的な出会いだったけど、それからは毎年欠くことのできない
一年に一度の楽しみになり、学生の頃は毎年出かけていたね。

高校時代、「秩父高の橋幸夫」と呼ばれるほどに、歌の巧さでその名を轟かせていた冠が、
成人前に歌手を目指して上京。
一方、幼少期の彼を見守った秩父神社の例大祭である「秩父夜祭り」は、約300年の歴史を持つ。
東京に出てから、冠二郎と故郷・秩父は付かず離れずの関係だったという。

演歌歌手を目指して、僕が故郷の秩父を出たのは、高校を卒業した18歳のとき。
東京で三浦康照先生に弟子入りし、懸命に修業しながらデビューしたんだけど、
その間、故郷にはほとんど帰らなかった。
埼玉の秩父という場所は東京から帰ろうと思えばいつでも戻れるほどの距離だけど、
歌手として一人前になるまでは安易に帰らないぞって心に決めてね…
だから、東京に来てからは残念ながら「秩父夜祭り」を観に行くことはなかったね。

1967年にビクターレコードから「命ひとつ」でデビューした後、冠二郎は10年で16枚ものシングルレコードをリリースした。
なかなかヒット曲に巡り合えず、北海道から沖縄まで日本全国を営業で周り続け、演歌道を極めることに心血を注いだ。
そうして、1977年の冬、17枚目のシングルを世の中に送り出し…。

…そう、デビューして10年経ち、おかげさまでやっと「旅の終りに」
(注1) という曲がミリオンセラーになったんだ。
昭和52年、僕が28歳のときだ。それでその年12月の「秩父夜祭り」
に呼んでいただき、山車(屋台の舞台上)に乗せてもらい、祭りの
大観衆を前に「旅の終りに」を歌わせてもらったんだ。
うれしかったよ。故郷での「凱旋コンサート」とでも言うのかな。
CDはまだ世の中に無い時代で、祭りの会場でも僕のレコードが
飛ぶように売れた。一生忘れられない思い出だね。

そんな冠二郎を育んだ秩父は、かつては深い緑に囲まれた養蚕の盛んな土地
だった。 いまでこそ、東京から電車で90分もあれば辿り着く人気観光スポット
だが、 かつては交通網が未発達で「山奥」のイメージだったと冠自身は言う。

僕が生まれた頃の秩父は、サルもシカもいる大自然。
東京からかなり離れた山奥のイメージだったね。
昔のそんな環境の中で秩父に生まれた人は、僕が言うのもなんだけど、
土地柄も影響して普段は素朴で温かいんだ。
一方で、熱しやすく冷めやすい部分もあってね、祭りの夜だけは、
そういう気質が一気に体の外に出て、みんなが「セイヤー!!」
「セイヤー!!」ってカンジになるんだよ。何か熱いものがあると一気に
爆発する…演歌歌手としての僕のスタンスに近いだろう(笑)。
秩父で生まれ育ち、「秩父夜祭り」に接してきたから、歌い手としての
現在の僕の姿があるんじゃないかな。冠二郎は、誰が何て言っても、
「炎」(注2)で「セイヤー!」だからね。

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