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ゴー☆ジャス いま、故郷FUKUSHIMAを語る

[日本の歩き方◎SPECIAL CONTENTS]

未曽有の大震災から2ヵ月…被災地の皆さまへの日本全国からの支援活動も続くなか、
福島第1原子力発電所の事故収束までは長い長い道のりとなっています。
地球の歩き方大使である、お笑いタレント・ゴー☆ジャスの実家は福島県いわき市。
福島で生まれ育ったゴー☆ジャスが、現在(いま)だから語れる、
故郷FUKUSHIMAのこと、両親と自分自身の生活のこと。
[日本の歩き方]特別インタビュー企画をお送りします。


2011年3月11日14時46分。三陸沖を震源としたM9.0の強い揺れが東北・関東地方を襲った。
気象庁が「東北地方太平洋沖地震」と名付けたその地震は、岩手・宮城・福島県の太平洋沿岸各地に大津波を発生させ、
戦後最悪の甚大な被害をもたらせた。東日本大震災――日本を一変させた、あの日あの時に、
まずゴー☆ジャスの記憶が遡っていく…。

渋谷で仕事を終え、お昼ごはんを食べて自転車で自宅に帰る途中でした。大きな通りを
走っていて、「あれ?揺れてる?」と思ったとたん、近くのビルから一気に人が出てき
て…いきなり道路が塞がってしまったんです。目の前の建物が激しく揺れていて、いま
までまったく見たことのない光景。「(揺れが)大きいな」というより、「長いな」っ
て印象でした。とりあえず地元の駅前まで戻って、電器屋さんの街頭テレビを見たら、
お台場で火の上がっている映像…びっくりして、ケータイから実家(福島県・いわき市)
に電話をかけたけど、全然通じませんでした。
まだ揺れがあったので、近くの小さな公園に18時くらいまで待機してましたね。それで
夜にやっと家に帰り、ニュース番組で宮城県の津波被害などを知って、愕然。その夜は、
結局、親に電話が繋がらず、東京でもまだ余震があったので、部屋でテレビやツイッター
をひとりで見て、いろんな状況を把握しながら、いつでも安全な場所に避難できるように
準備してました。


福島県いわき市、震度6弱。地震発生後1時間後の15時45分には同市の沿岸部全域に避難指示が出された。
福島県で生まれたゴー☆ジャスは、2歳から高校卒業までの16年間を、そのいわき市で過ごし、2009年には
人気バラエティ番組で、彼の出自をたどるミニ・ドキュメンタリーが放送され、市内に在る実家と両親の姿が
映し出された。東京でお笑い芸人として生きる息子と厳格な両親の親子関係は多くの視聴者にとって印象深いものだった。

親の無事を知ったのは、地震翌日の昼でした。
電話が来て、「そっち(東京)は大丈夫か?」って逆に心配されました。当然、実家は
かなり揺れたようですが、幸いなことに建物自体は大丈夫でした。停電は比較的すぐに
回復したそうですが、水はしばらくダメ。断水状態が続きました。
僕は地元のいろいろなことが心配で…正直、親の無事を電話で知っても、すぐに手放し
には喜べなかったですね。教師だった父は退職してから市役所の仕事に携わったり、
自治会の会長をしたりしているようで、自分の身の安全よりもそっちに気を取られてい
るカンジで…「とりあえず避難した方がいいんじゃない?」って僕が言っても聞く耳が
なかったですね。震災後はできるだけ頻繁に、電話やメールで連絡を取り合いました。


福島県大熊町・双葉町の東京電力福島第1原子力発電所―-地震発生後の15時42分、1~3号機で停電発生。
その1時間後の16時36分には1・2号機で緊急炉心冷却装置の注水が不能となった。
そして、同日19時50分頃、枝野官房長官が[原子力緊急事態宣言]を発表。これを機に、日本の「福島」が世界の
「FUKUSHIMA」へと転じる国家危機が、放射性物質漏出の現実とともに始まった。

福島第一原発の事故が起こり、その夜に、まず半径10キロ内に屋内避難の指示が出さ
れました…僕はすぐに、iPhoneのアプリで原発から実家までの距離を正確に測りました。
避難指示と屋内退避指示の範囲を知らせる同心円が、ニュースの映像なんかでだ
んだん拡がっていったじゃないですか…そりゃもう、気が気でなかったですね。
いま思い返すと、その頃、いわき市など原発近くの市町村はテレビでの報道があまり
なくて、原発施設そのものの映像と解説ばかりでした。一方で、ネットの世界では、
「被災地のいわき市には救済物資がまったく届いていない」などといった不確定な情報
がずいぶん流れていました。親に電話で直接訊くと「大丈夫」とのことでしたが、
いったいどの情報を信じればいいのか分からなくて。あるツイッターでは、僕の母校の
体育館に避難した人が亡くなったなんてのもありましたし…。
それと、子供の頃、海水浴に出かけた小名浜に津波の押し寄せる映像がYoutubeに
あると知ったんですけど、怖くて、とても見られませんでしたね。原発事故を含め、
情報に対してそれくらい敏感になっていました。


1971年3月26日、東京電力福島第一原子力発電所1号機の営業運転が開始された。
それから40年後の2011年3月12日15時36分、その1号機建屋付近で爆発音とともに立ち上がる白煙の様子を
ニュース映像が捉えた。巨大地震から24時間後、東日本大震災は重大局面を迎え、ゴー☆ジャスの故郷である
いわき市も大きな被害に見舞われることになった。いまは東京都内に移り住むゴー☆ジャスだが、
いわき市出身の彼にとって、「福島原発」とはどんな存在だったのだろう?

あのとき、テレビで原発の水素爆発を見て、ただただ唖然としました。
これはいったい、どうなっちゃうんだろう…って。
ありきたりな感想かもしれませんが、まず、放射線の見えない恐怖を感じましたね。
爆発事故によって、何がどうなっていくのかも分からないし、とりあえず、ニュース
をずっと見てましたけど、情報も何を信じればいいのか、相変わらず分からない…
ただごとならぬ心配をしている自分がいましたね。両親には「早く逃げてほしい」と
呼びかけましたが、「すぐには移動できない」ということで、「気をつけてくれ!」
とだけ伝えてました。
僕は福島県内で生まれ育ったわけですけど、実は、物心ついたあとも、学生時代も、
"福島原発"の存在はほとんど意識してませんでした。もちろん、「原発は危ない!」
と、たまに耳にはしてましたが、自分の中では危機感はまるでなかったです。
施設の近くまで行ったこともありません…。
「ああ、同じ県の中に原発があるなー」ってカンジでした。建物の外観とか内部構造も、
今回の事故で初めて知って…そうですね、学校の先生からもあまり原発についての話を
聞いたこともなく、僕の実家近辺は多くの人がそんなふうだったんじゃないでしょうか。


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1978年11月10日 福島県いわき市出身。
普段は、宇宙海賊のキャラ設定で活動しており、主に、地球儀を使った、
国名等のダジャレで落とすショートコントで、ネタ番組出演やイベント等で活躍中。
決めセリフは、「君のハートにレボ☆リューション!」「(こんな展開、)ファンタ☆スティック!」。
インパクトあるビジュアルとともに、女子中高生はじめ、若年層から絶大な支持を受けている。
2010年6月、「地球の歩き方大使」就任。著書に「ゴー☆ジャスの地球の学び方」(ダイヤモンド社刊)がある。
(公式ホームページ)http://blog.livedoor.jp/gogogorgeous/


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